2017年7月29日土曜日

明治4年愛宕事件に連座 田淵敬二


田淵敬二 たぶちけいじ

天保11(1840)年~明治33(1900)721 江戸時代末期・明治期の勤王家。愛宕事件に連座、10年間投獄される。後、久米南條郡長。赤磐郡誌P921

 


明治4年外山・愛宕事件(二卿事件)

明治27年7月~明治28年2月 磐梨郡物理村大字下田淵敬二士族復族願書類

 



二卿事件(にきょうじけん)は、明治4年(1871年)、攘夷派の公卿、愛宕通旭と外山光輔が明治政府の転覆を謀ったクーデター未遂事件。「外山・愛宕事件」とも呼ばれる。

彼らは明治政府を倒して新しい政府を作り直して攘夷を行って外国と戦うべきであると唱えていた。

新政府を倒して明治天皇を京都へ連れ帰り、攘夷を断行するべきであると進言した。

明治4128日(1871318日)に京都を発ち、24日(324日)に東京に入る。東京に火を放って天皇を京都に連れ出す作戦を練った。

一方、外山光輔も、同じような計画を企てていた。

発覚

まず、37日(426日)に外山光輔が捕縛され、10日に東京の久留米藩藩邸が政府に押収されて藩知事有馬頼咸が幽閉された。314日(53日)には愛宕通旭が捕縛された。首謀者の二人は明治4123日(1872112日)、二条城芙蓉之間にて切腹させられた。